いつもありががとうございます。
「そらいろ」の店主ひろです。
最近、私の周りに「不登校」の子が増えている気がします。
そのことについて悩んでいる方も増えているのだと思います。
「学校に行かないと将来どうなってしまうか心配」と思ってしまうかもしれない。
学校に行くor行かないについて、少し考えてみたいと思います。
「休まない」ことの価値
私が小中学校の時は、多少の風邪だったら学校に行くのが当たり前だったような気がします。
だから、どうしても休みたいときはストーブの前で体温を測っていました。その時は41℃まで上がってしまい、さすがに失敗に終わりましたが、、、
話を戻して、「休まない」ことによって何が良いのでしょうか?前提として、多少疲れていたとして考えてみてください。
- 授業に遅れない
- 根性を鍛える(簡単に投げ出さないようにする)
- 仕事を休まなくて済む(共働きの場合)
1日程度休んでも授業や仕事に影響は僅かだと思いますので、やはり大きいのは「心を鍛える」といった考えでしょうか?
「休む」ことの価値
つぎに、「休む」ことによって何が良いのかを考えてみたいと思います。
- 身体の不調回復
- 心の不調回復
ここで大きいのはやはり「心の不調回復」でしょうか
つまり、「休む」or「休まない」で悩む理由は「子供の心の状態が目に見えないから」だと思います。
ただサボろうとしているならば休ませたくないし、本当に心が疲れてしまっているならば休ませたい。
心は目に見えないものですし、本当に難しい問題だと思います。
「皆勤賞」の価値
休まなかったという努力は「皆勤賞」という目に見える形で残ります。
なぜ皆勤賞にこだわるのでしょうか?
私はこう思います。
「勉強が出来なくても、運動が下手くそでも、休まないことによってその子の努力(健康、根性)を証明できるから。」
親であれば、どんな形であれ、子供の努力を証明してあげたい。
少しでも可能性があれば、後押ししてあげたい。
だからこそ、多少の風邪で皆勤賞を逃すぐらいならば、頑張って皆勤賞を取らせたかったのでしょうね。
皆さんにとって、皆勤賞はどんな価値がありますか?
「心」を守る”行動力”
私はこのように考えています。
“体”が壊れても、”心”が残っていれば何か出来る
“心”が壊れると、”体”が残っていても何も出来ない
「学校に行かない」という選択肢は、心を守る本能的な行動なのかもしれない。
「なぜ、学校に行かなければいけないのか?」「学校に行く目的は何なのか?」
あくまでも、学校に行くというのは手段で、何か目的があるはず。
人生は誰かと同じ道を歩むものではなく、十人十色で固有の道です。
その道に「学校」が必要なのかを見出してみて頂けると幸いです。
子供の声を一番分かってあげられるのは、YouTubeでもネットでもなく、親自身なのですから。
「学校に行かない」という選択肢は有りなのか?
最後に、「学校に行かない」という選択肢について考えていきたいと思います。
私個人としては「有り」です。
この言葉だけだと無責任だと思われるかもしれません。
正確には、「行かないことによって、その子の将来に有意義と思われる時間となるのであれば、有り」という言い方になります。
もし、子供が「学校に行かない」と話してきたとき、「学校に行かないという行動を自分の意志で決められた」と考えることもできます。
だからこそ、なぜ行きたくないのかを一緒に考えてほしいと思います。
目の前の一日という「短距離」で見るのではなく、先を見据えた「長距離」で考えたときに休むことの価値、また休んでいるときの子供の様子を見て、話して決めて頂ければと思います。
まとまり切っていないように感じますが、何か感じて頂けると幸いです。
ありがとうございました。
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